学生時代に甲子園球場でのアルバイトで

ボールボーイ・ラッキーゾーン・切符切り等

いろいろな場所を経験させてもらったが

先日の小林繁氏死去のニュースで思い出した。



1982年ぐらいだと思うが当時はまだ内野の銀傘(ぎんさん)の

下に内野スコアボードがあり、まずそこまで登るのにひと苦労汗

内野席の一番後ろのハシゴを登っていくのである。

そこから今度は客席の上の細い橋のような部分を渡って到着する。

間違いなく高所恐怖症なら無理な配置でした。

そこからの見えるのは今でこそよく見かけるホームベース上空からの

あの映像です。

その時初めて小林さんの変化球のすごさに驚きました。

ピン球のようなエゲツナイ曲がり方でした。

プロは一瞬であの変化球を見極めるのですから・・・・・

あの独特なフォームから繰り出せれる変化球は

どの投手よりも曲がっていたはずです。


当時の内野スコア(通称ナイスコ)は職人さんが書いた

得点ボードを試合経過をラジオで聞きながらはめ込んで

ぐるっと出していたような気がします。

たまにバイト同士でしゃべりすぎて外野の本部から

内線電話が掛かってきました。「2点ちゃうやろー3点や」など・・・


当時は小林さんに変なおばはんのファンがいつも

くっついて来ていました。なんと呼んでいたのかは覚えていませんが

2人組みで異様な目つきで小林さんを見ていました。

キャーキャーのファンではなく、異様で不審なおばはんだったことは

はっきり覚えています。



あの頃の阪神(掛布・岡田・佐野)には

ありえない男前(小林・真弓・若菜)は

バイトから見てもかっこよかった>>>>>>>>

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