2010.01.21 Thursday
学生時代に甲子園球場でのアルバイトで
ボールボーイ・ラッキーゾーン・切符切り等
いろいろな場所を経験させてもらったが
先日の小林繁氏死去のニュースで思い出した。
1982年ぐらいだと思うが当時はまだ内野の銀傘(ぎんさん)の
下に内野スコアボードがあり、まずそこまで登るのにひと苦労
内野席の一番後ろのハシゴを登っていくのである。
そこから今度は客席の上の細い橋のような部分を渡って到着する。
間違いなく高所恐怖症なら無理な配置でした。
そこからの見えるのは今でこそよく見かけるホームベース上空からの
あの映像です。
その時初めて小林さんの変化球のすごさに驚きました。
ピン球のようなエゲツナイ曲がり方でした。
プロは一瞬であの変化球を見極めるのですから・・・・・
あの独特なフォームから繰り出せれる変化球は
どの投手よりも曲がっていたはずです。
当時の内野スコア(通称ナイスコ)は職人さんが書いた
得点ボードを試合経過をラジオで聞きながらはめ込んで
ぐるっと出していたような気がします。
たまにバイト同士でしゃべりすぎて外野の本部から
内線電話が掛かってきました。「2点ちゃうやろー3点や」など・・・
当時は小林さんに変なおばはんのファンがいつも
くっついて来ていました。なんと呼んでいたのかは覚えていませんが
2人組みで異様な目つきで小林さんを見ていました。
キャーキャーのファンではなく、異様で不審なおばはんだったことは
はっきり覚えています。
あの頃の阪神(掛布・岡田・佐野)には
ありえない男前(小林・真弓・若菜)は
バイトから見てもかっこよかった>>>>>>>>
| デブかわドットコム | 岸潤一郎 | 21:57 | comments(0) | - |